これからミャンマーという呼称を使いません。
久しぶりの投稿ではありますが重大発表をさせて頂きます。今後、MUKUで取り扱うすべての商品に関して「ミャンマー」という呼称を使わないことにしました。今後は「ビルマ」(BURMA=バーマ)という呼称を使います。
本来ならバーマが正しい発音だと思いますが、「ビルマの竪琴」を始め、日本で馴染みのあるビルマで統一させて頂きます。その理由を説明させて頂きますのでしばらくお付き合いください。そもそもなぜ国名がビルマがミャンマーに変わったのかを説明しなければなりません。ウイキペディアによると、「ミャンマー政府は1989年に公式の英語名称をUnion of BurmaからUnion of Myanmarへと変更し、さらに後になってRepublic of the Union of Myanmarへと変更した。日本政府はこれに応じて日本語の正式名称を「ビルマ連邦」から「ミャンマー連邦」、さらに「ミャンマー連邦共和国」へと変更している。」とあります。ただその時のミャンマー政府とは軍事政権であり、その軍事政権が独断で国名を変更したことが今でも各地で論争を呼び続けています。
MUKUは少数民族のカレン族との関わりから誕生した企業なので少数民族側からの視点で説明させて頂きます。ビルマがイギリス統治下の時代、イギリス政府は華僑に金融、山岳民族(カレン、カチンなど)に軍事や警察を担わせ、ビルマ族はというと農奴にされていました。未だ解決をみないビルマの民族紛争の根幹がこの時代にあるのは間違いがないようです。1948年、「ビルマ建国の父」アウンサン(アウンサンスーチーの実父)の独立運動により、イギリスから少数民族の自治を認めることを条件として独立を認められビルマ連邦が立国しました。しかし、独立するや否や植民地時代の待遇に不満を持っていたビルマ族はクーデターで政権を掌握し、少数民族への弾圧を開始しました。具体的には少数民族自治区へ侵略し、村を焼き払い、若年層を麻薬漬けにする行為だったそうです。それに少数民族側が反発、それぞれが独立戦争を開始するなど事態は泥沼化し、その内戦は60年近くたった今でも続いているのです。そのような混乱のさなか、1989年、軍事政権は国民投票など同意を得ぬまま一方的に国名をミャンマー連邦へと変更しました。このことは少数民族だけではなくビルマ族からも反対意見が出ましたが、民主化を求める声とともに弾圧されてしまいます。2015年に民主化されたあとも、最近ニュースで目にするロヒンギャ問題のみならず、民族間の争いは続いているのです。未だ軍部の影響が大きいミャンマーにおいて、軍事政権による独裁の象徴ともいえる「ミャンマー」という呼称に嫌悪をおぼえる人々が多くいるのが実情です。
MUKUは昨年より海外展開を開始しましたが、英語版のウエブサイトやSNSを通して身に覚えがない抗議を受けるケースが増えています。その原因は「ミャンマー」という呼称にあります。彼らがこの日本語ブログを読めたなら少なからず誤解は解けると思いますが、単にミャンマー(Myanmar)という表記だけで判断されてしまっているのも事実です。今回ミャンマーからビルマへ呼称を変更するにあたり当初よりお世話になっているカレン族の友人に相談に載って頂き、また貴重な意見を伺い決定しました。呼称が変わる以外は製品のクオリティも事業の理念も不変だといういうことを申し添えさせて頂きます。
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